上棟・地鎮祭

神社の上棟式

2010411b

先日、神社の上棟祭に縁あって参加してきました。友人で地元富士で活躍されている建築家「さの設計室」の設計で、私も設計をお手伝いした縁で招待を受けました。一生に1回経験できるかどうかの貴重な体験だったので、喜んで参加させてもらいました。

当日は前日まで雨が降っていたのがうそのような、すばらしい天気に恵まれ、町内の皆さんの日頃の行いの賜物ですね。準備段階から話には聞いていたのですが、参加者が70名を越える大式典で、そのための巨大なひな壇を足場で作ったと言うのです。午前中にリハーサルを2回も催し、入念な準備と練習で、大変すばらしい上棟祭だったと思います。

これらの準備を先導したのは工務店である「建築工房わたなべ」社長と神社役員と設計者の佐野君。「建築工房わたなべ」は実家の工事をしてもらったおなじみの工務店。社長のブログ「住宅屋の気持ち」に上棟祭のことをさらに詳しく書かれています。

私はというと、壇上に上がらせてもらいましたが、写真班として動きました。普段の上棟式は当事者として参加するので、写真をうまく撮れないのですが、今回はここぞとばかり、ふたつのカメラを駆使して貴重な記録が撮れました。

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投げ餅は子どもから大人まで300人を越える人が集まり、凄い賑わいを見せました。餅をなんと4俵(約240キロ)用意したというので、皆さんたくさん拾えて満足だったのではないでしょうか。投げ餅には地元の名士もこぞって参加してくれていました。

2010411e

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完成が楽しみです。

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建築家の自邸VOL 29(本音と建前)

「本音と建前」の由来って知っていますか?
実は上棟に関係しているので、今回詳しく調べてみました。
自分のHPにまとめたのものを下記に記します。

「昔、有名な棟梁がいました。その棟梁が明日、建前と言う前の晩になって、玄関の柱を短く刻んでしまい、収まらなくなってしまいました。棟梁は、己の未熟さに死のうと考えたが、それを見た棟梁の奥さんが、自分が代わりに死んでも良いとまで思い、棟梁に酒を飲ませて寝かしつけ、寝ないで考えたのが、マス組と言う工法でした。翌朝目覚めた棟梁は、奥さんの差し出した枡を受け取ると、「わかった!」と言い、柱の足りない分を、補って納めたのです。ところが、己の恥が表に出るのを恐れた棟梁は、口封じのために奥さんを殺してしまいました。殺してから棟梁は、己の犯した罪を悔い、未来永劫、弔うと心に誓い女の七つ道具を棟の上に飾って供養したと言うのが始まりで、建前の儀式となったそうです。「タテマエ」にこだわるあまり妻を殺してしまった男の生きざまに、「ホンネ」で応じた女の悲話が「本音と建前」の語源となったと言われています。」

という話だが、あまり有名な話ではない。
知らない人がほとんどなので、私自身も半信半疑だった。
ところが、話が本当だったことの証拠になるものを見つけた。
Blg122506 それがこの写真。

上棟セットというものがある。
幣束(ヘイソク)と呼ばれ、上棟時に祭壇にささげ、屋根裏の梁に留めておくものなのだが、そのセットについていた。

上棟時にわたなべ社長が、お札を私に渡して、これを神棚に飾っておいてといわれ、置いていたことを、後になって思いだした。

なんだったんだろうと見てみると、お札だと思っていたのが、
いつもは見たことのないものだったので興味が出て
七という数字が目に入って、あけてみることにした。

そしたら、前述の話の「女の七つ道具」だったのである。
口紅、おしろい、くし、かんざし、鏡、かつら、こうがい
の七つ道具。

そうなると、これ、ほんとは棟の上において供養するもの
だったのか。

中澤建築設計事務所のHP


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建築家の自邸VOL 28(上棟式(建前)本番編)

さあ、いよいよ上棟式当日がやってきた。
朝は曇りだったが、昼頃から青空が出てきて、快晴となった。
投げ餅日和となってきた。集まってくれるかな~

Blg121306a 本日も朝から大忙し、お赤飯の準備。私がもち米ふかし役だったのだが、赤飯の炊き方は、昨日の餅つき用より、難しいことが判明。

Blg121306b 私自身、設計者として、職人の様子も見なければならないが、ほとんど、棟梁と現場監督に任せても何の問題もないほど、手際がいい。 本日は施主として動いている。Blg121306c
それでも、ずっと火の番はできなくて、ご近所さんたちが、様子を見に来たまま、見かねて赤飯炊きをやってくれることになった。もう、すっかりお世話になりっぱなしだが、遠慮なくお願いした。

炊き上がると親戚の皆さんで、お赤飯をつめていってくれる。現在住んでいる台所のほうでは、妻と姉がお昼用のけんちん汁と直会用の中華料理を朝から準備。一時も台所から離れられない。
こちらも量があって大変で、最終的には、直会中までかかった。
おかげで、出来立てが出せたので、おいしいと職人から喜ばれたが二人には感謝感謝!

Blg121306g 職人さんたちのお昼が準備できたら、昼食の間に、注文した寿司を取りに行き、帰ってくると、投げ餅、樽酒(工務店差し入れ)、引き出物の鯛など、続々と届き、母は支払いと挨拶で大忙し。
Blg121306d過去の施主や友人もやってくる。現場は職人が20人強集まっているので、どんどん進む。
棟(むね)どころか、外壁の構造用合板まで工事が進んだ。
Blg121306e 1時に、投げ餅の印である、竹で作った弓を取り付ける。
これまた立派な弓だ。

あっという間に、予定の2時半がやってきて、屋根(陸屋根)に祭壇を設置。
Blg121306h急遽、社長の提案で樽酒を屋根に上げて鏡割りすることになった。祭壇は、建築工房わたなべ社長が、前日インターネットで並べ方をいろいろ研究して、考えてくれた。実にきれいに収まった。

Blg121306iわたなべ社長も、いつになく気合が入っている。
住宅屋の気持ち」で書いているように、このブログのプロフィールを読んで、私の建築家になりたかった夢を知って、張り切ってくれたようだ。

まさしく、施主と施工者のコラボレーション。
東京からSE構法の構造担当者と営業マンが手伝いに
駆けつけてくれた。

準備万端、上棟式の始まり。
棟梁のお払いが始まり、施主、施工2礼2拍手、四方へ塩、米をまく。
わたし、棟梁、社長の3人で鏡割りをして、四方へ酒をまく。
乾杯をして、一本締めで終了。
そして、いよいよ餅投げが始まる。
道路では今か今かと人が集まっている。

Blg121306j まずは四方餅を投げる。そして1250個用意した餅をなげる。最後に親餅だ。祝儀を渡すことを告知して、子供は危ないから離れてもらう。

Blg121306k フェイントをしろというので、何度か投げるふりをして盛り上げて、円盤投げさながらに、遠くへ飛ばす。
何度かはねて、男の人が最後奪うようにつかんだ。


一瞬の出来事だが、これを子供の頃からやりたかった。
親持ち投げるのだけは、施主じゃないとできない。

Blg121306l 地方では親餅を投げなかったり、親餅自体が存在しなかったりする場合があるが、地元富士市は、親餅と祝儀がセットだ。
拾った人と記念撮影して祝儀を渡す。

車庫で直会のはじまり。母、祖母の挨拶で開始。
神様に供えた御神酒の樽酒を屋根からおろして、乾杯。
わたなべ社長が一人一人の升も用意してあり、
実にいい香りの御神酒であった。

Blg121306f 私にはもうひとつ仕事があった。それは金目鯛の煮つけ。
お供えにあげた金目鯛を丸ごと煮込む。知人の魚屋さんから祝いに頂いた。沼津の魚河岸で一番大きいものを持ってきてくれたという。
K家から大きな釜を借りてあり、一匹、目の前で煮込んだ。
私は準備と、指示しただけだけど、これがやりたかった。

Blg121306m 職人さんたちに食べてもらい、私の理想とする上棟式は完了。
直会に夢中になり、写真とり損ねたのが、悔やむなあ。

本当にいろんな人に助けてもらいながらの上棟式で、
家族も親戚もご近所も工務店も大変疲れたでしょう。
お手伝いの皆さん、出席者の皆さん、ありがとうございました。

中澤に設計頼むと、こんなに大変な上棟式やらないとならない
のかと思われると困るのだけど。
母と祖母は喜んでくれた。参加した人の笑顔がうれしい。
一番うれしいのは、夢をかなえた自分自身。

いつもは、施主と規模を相談しながら計画立ててますので、
誤解しないで下さいね。

わたなべ社長の「住宅屋の気持ち」でも書かれているように、
上棟式は施主の職人に対して、感謝と家づくりの思いを伝える場
と考えてください。
規模ではなくて、自分自身の言葉で語る工夫があれば、
素敵な上棟式になると思いますよ。

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建築家の自邸VOL 27(上棟式(建前)準備編)

金曜日よりレッカー車が入って、大工5人で建て始めた。
週末は天気が悪い予報だったので、3日かけて進めることにした。これなら一日雨が降っても、日曜日の上棟式には建ち上がる。
Blg121206a SE構法は梁や柱に金物を取り付けてから、組み立てていく。北側の空き地を貸してもらい、材料の搬入をそこから行った。

Blg121206c

木曜日に棟梁一人で金物を取り付けた。広々したところで、手際よくできたそうだ。空き地の地主と管理者(町内会)にはスペースを貸してもらい、本当に助かっている。

Blg121206b2階床が出来上がると、待ってましたとばかり、鉄骨階段の登場。友人の板金やがもってきた。計算どおり、ぴったりにとりつく。

さて、本編の話はこれから。
前日の土曜日には、餅つき。

Blg121206d 前の家(農家)から臼と杵を一式お借りて、餅つきにのぞんだ。土曜日は一日雨が降り、車庫の中でおこなった。テラス部分が1.5M出ているので、その下で薪をたいてもち米をふかす。

Blg121206g これまたお隣さんからローテーブルを5脚、工務店から4脚お借りして、ついた餅を、親戚、近所の人に手伝ってもらいながら丸めていく。雨が降っていたが、車庫の中でできたので、予定通りの行動。

都合2升で一回分として、計7回ついた。
前日から水につけておいたもち米が、約20キロ強。

Blg121206f 友人とそのおやじさんに指導を受けながら、私、親戚、建築工房わたなべの社長と現場監督で、交互についていく。つくのが大変と思っていたが、丸める方が手がかかり、様子を見ながら進めた。

Blg121206e餅つきはつく前より、「小突き」作業の方が重要で、手がえしの方が、難しい。この部分をすっかり友人で過去の施主のK家親子にやってもらい、助かった。
Blg121206iK君は、私のデビュー作の施主で、当時の上棟式も、前日に現場で餅つきをした。本人は、そのとき初体験だったそうだが、その後毎年正月の餅をつくようになり、すっかりベテランになっていた。

Blg121206h ついた餅は、親餅と四方餅と職人さんや親戚等に配る引き出物用として、手づくりにこだわった。お手伝いの皆さん、大変だったろうけど、手をかけることで、職人さんへの感謝を込めたいと思っていた。

いつもは、施主にそこまでやってもらうのは大変なので、
提案しないけど、今回は身内と言うことで、
私のわがままを受け入れてもらった。

あとは、本番を待つのみ。

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建築家の自邸VOL 26(いよいよ上棟式)

今週末、上棟(建前)の予定です。
ちょっと天気が怪しくなってきましたが、本降りじゃないことを
祈って、強行します。心配なのは、投げ餅。
雨では集まってくれないだろうなあ。餅は袋に入っているから
汚くないですよ。

そうです、念願の建築家になった夢、自宅の上棟式での投げ餅
が実現します。過去の設計で何回か経験ありますが、やはり
生まれ育った場所は、格別です。

皆さん、投げ餅って覚えてますか?
私の子供の頃は、高度成長期真っ只中、毎週どこかで上棟式
やっていました。朝学校に着くと、あそこ屋根に弓はっていたよ
と情報を得て学校帰りに友達と拾いに行ったものです。
(地元では上棟式で投げ餅を行う印に屋根に弓を張りました)

今の若い人は経験がないかな。ほとんど見かけません。
上棟式に屋根から餅を投げて、地域の人に拾ってもらうのです。
近所挨拶の一環です。

親餅には祝儀が入っていて、大人が取り合いで大喧嘩したもの
です。最近は衛生上、餅に入れず別に用意するらしいですよ。

前日は、餅つきたい大会。親餅や四方餅、縁起餅など
前の家(農家)から臼と杵を借りて、もち米ふかしながら
つきます。友人とそのおやじさんに指導を受けます。
投げ餅は、袋入りで業者に作ってもらい、あたたかいのが当日
届きます。

当日は、赤飯炊きながら上棟準備と大忙し。友人の魚屋に注文
した、お供え物の金目鯛をどうやって一匹丸ごと煮るか、
思案中です。
直会中に職人に食べてもらうと、縁起がいいそうです。

上棟式(建前)については、HPで詳しく解説しました。

中澤建築設計事務所のHP


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建築家の自邸VOL 11(地鎮祭後編)

「サンミョウサン」の行う地鎮祭を、10年の間に何度か
体験しているが、会うたびに進化している。
地鎮祭が進化?

どういうことかって言うと準備が入念に計算されていて、
一人で全部祭壇とその囲いを作ってしまう。
雨でも炎天下でも対応できるように、テントを建てるそうだが、
それも一人で簡単に開くようになっている。

Blg092506a手伝うタイミングがなく、ただ眺めているだけ。
地鎮祭のプロ?といえる手際の良さ。
手を洗うポリタンクまで用意して現場に設置。
ちょっとマニアックすぎない(笑)

施主も工務店も何もしなくていいので、
拍子抜けするくらいだ。

お供え物すべて用意してくれて、通常工務店の用意する
竹、砂まで持参。
木でできた、釜、くわ、シャベルもそろっている。
竹は何でもいいわけじゃないので、近年一番工務店が
用意しにくい部分だそうで、
民家3件に竹の栽培を契約しているそうだ。

Blg092506b初穂料(謝礼)と供物料(お供えの材料費)を
商売柄、聞いてしまったが、
相場より安いときて、さらに驚いた。

事実、ハウスメーカーから引っ張りだこらしい。

そういえば、家相見てもらったときも
謝礼もらう気配がなくて、こちらから包んで置いてきたっけ。

Blg092506c大雑把な地鎮祭の手順(地方や人によって違いがある)
①神主が祭壇に入ってお払い開始。

②神主が施主の名前や工務店の名前を挙げて、
工事の無事をお願いする。

③神主が土地の四方に向かってお払い。
違う持ち物をもって何回か廻った。

Blg092506d ④砂の山に向かって起工式?
最初に施工者が釜を持って3回刈るしぐさ。
次に施主がくわを持って3回耕すしぐさ。
最後に設計者がシャベルをもって3回掘るしぐさ。
このときに、「エイ」と掛け声をだす。
私の師匠がよく大きい声で「エイ!」と言っていたので、
も恥ずかしからず、大きい声を出している。
結構恥ずかしいのだ。

Blg092506e ⑤施主から順番に、玉串を祭壇に掲げて二礼二拍手。

⑥神主がお払いして終了

⑦終了後、お神酒で乾杯。
大体長くても30分くらいの出来事。

お供え物をどうかもらってくださいと言うので頂いた。
通常は神様にお供えしたので、もって帰ってもらうのだが、
遠慮せず頂いた。(笑)
結構、我が家は素直だ!(ずうずうしいって)

お供え物一式を過去のブログで書いているので参照。

Blg092506f お供えの金目鯛を、すぐさま煮込んで昼飯に食べた。
いや~、久しぶりの実家の味、金目の煮付け、
うまかった~。

今度は、上棟式で大工さんたちに食べてもらおっと!

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建築家の自邸VOL 10(地鎮祭前編)

ようやく地鎮祭が行われた。
大抵は解体して着工前に行うものなのだが、
今回は工事がややこしくて、一部解体してそのまま着工し、
地鎮祭のタイミングが異例中の異例となった。
ま、自邸だから許されるか・・

Blg092406a_1 岩との格闘も終盤戦で、土地がひらけてきたので、
日が良い時を見計らって行った次第である。

地鎮祭といえば、神主。(例外で牧師やお坊さんもある)
私のほうで知り合いの神主にお願いした。
その人は「サンミョウサン」と地域では言われていて、
神社所属というより神道宗教の神主さんである。

Blg092406b 知り合いというと、私が何かの宗教に入っているなんて
勘違いされるといやなので、説明をしておく。

最初に「サンミョウサン」に会ったのは、10年位前の、
私の初期の、F邸の地鎮祭だった。
そのF邸で「サンミョウサン」のことを知った。

そのF邸が着工直前の正月あけに、大工さんと私が
施主のところに訪れた時の事だった。
施主「かっチャン(私のこと)正月にさ、おやじと
サンミョウサンのところに行って来たんだよ。」
私「何しに?」
施主「おやじがどうしても家相見てもらうって言って、
模型もって見てもらってきたんだよ」
私「え~~」
隣りで大工が大声で、「え~~なんてことを(絶句)」

家相と言えば、泣く子も黙る建築業界にとっては
不吉な言葉。
着工前だろうが、施工中だろうが、設計変更当たりまえ、
信じた施主には逆らえない恐ろしいイメージがあった。

ところが、施主の一言
「いや~ほめられて帰ってきたよ、こんなに家相的にも
いい設計はないですよと言われ、何も手を入れるところは
ないんだって。」
私と大工は「へ!」と拍子抜け。

聞けば、廊下の先に窓があったり、気がたまらないように、
実によく考えられているとほめたそうだ。
細かい偶然も合ったけど、
風が抜けたり、光を射す方角など、家の環境を考える事が、
家相学にぴったりだったって事みたい。

ある建築家が、「家相にも耳をかそう」って言っていたけど、
一理あるかもと、そのとき思った。

そのF邸の地鎮祭で、「サンミョウサン」に話を聞いたら、
神主になる前に、建築業界にいたから、建築の観点から
考えているそうだ。
なるほど!それでと大工と納得。

それ以来、施主が家相を見てもらいたいというと、
「サンミョウサン」にお願いすることにしている。

その後、地元の仕事では何回か地鎮祭で合う事になった。
私が呼んだのではなく、施主や工務店が偶然
お願いした事だった。

というわけで、自邸では是非「サンミョウサン」に
お願いしたというわけだ。
そしたら、なんと旧家の地鎮祭(40年前)は、
先代(おやじさん)にお願いした事がわかった。

なんか家相の話になってしまったので、
次回に地鎮祭の事、書きます。

ところで
家相見てもらうのに、模型だったって事、
きがついたかな?

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